学生時代にお世話になった「カタオカサイクル」私は京都産業大学の自転車競技部に所属し、4000メートルパシュート
と10000メートルポイントレース専門の選手でした、先輩諸氏はアラカワサイクルでメンテナンスを受けていました、でも
私の気になったのが府立大学電停前のお店だったんですよ、当時はチネリとビゴーレブランドを店内に展示してはりました、
一回生の時に始めてフレームを作って貰ったんです、採寸なし~~名前はと聞かれ 高南雅司と答えると、はんなら雅司と
呼ぶでと言われ、ええ~初対面やのにと思ったのは事実!それでどんな競技に出るねんなと聞かれ、うん、僕ね4000メートル
パーシュートと10000メートルポイントレースです、ロードにも出たいいんですがお金がないので4000とポイント用のピスト
フレームお願いし作ってもらいました、そのフレームで関西インカレで2位に入ることができ、報告に片岡氏の元に、雅司
やったやんけ、俺のフレームのせいかお前の実力かこれから楽しみやの~その後青森のインカレロードで集団落車に巻き込まれ
右親指複雑骨折、八戸までは遠く村の診療所に連れて行かれ折れた親指の手術をしてもらいましたが・・・無理ですよ、
元に戻すのは、先生なんとか箸が持てるようにしてもろたら僕は大丈夫ですと緊急手術、ふんさい骨折で親指が横向きに付きました
あれっ、これが僕の指なんやと今に至ってます、片岡保・・・この人が自転車人生に送り込んだ人です、基本的に沢山の事を
教えてくれる人ではなかったですね、ホィール組も片岡さんのを盗む、自転車組みも盗むんやでと言われました。
それに奥さんも優しい女性でした、産大でのトレーニング後に保っちゃんの店に行くと作業場で餅を焼いて食わせてもらいました、
夏にはホイール組が出来るようになり、1ペア2000円のバイト料を頂けることになり月に3ペア組んで6000円のバイト料を
頂き時には上賀茂の自宅でも夕飯を頂く関係になり、まるで自分の息子ののように可愛いがって貰ったんです。
大学を卒業後、我孫子の自転車パーツ輸入業者に就職、その時再度片岡氏とのお付き合いが再開、今度は営業マンとして
片岡氏の前に、片岡氏と相談しながらイタリアからいろんなパーツを引っ張ってきました、当たりも有ればハズレも有りました。
その後石山の琵琶湖サイクルで店員として仕事をしていました。
僕が独立した時に保っちゃんは心配せんでええ、お前には絶対人は集まるって太鼓判おされました、
これだけは言うておく、自分の感性を大事にせなあかんで、誰が組んだか一目で解る仕事せな!
本当に感謝の片岡さん・・・たもっちゃん・・おおきにお世話になりました。
それでは、お休みタイム・ミュージックです。
竹内マリヤさん「駅」この曲ドラマチックで大好きです、さてさて明日はみんさんお仕事、頑張ってね、それでは、今宵はこのへんで
おやすみなさいませ、グンナイ!