僕の大好きな落語家のお話です、
皆さん、一席お付き合いを・・・・
1939年、神戸市灘区にブリキ工を営む父の長男として前田達は生まれ、1945年6月、5歳の時に戦災に遭い、父親の出身地である鳥取県倉吉市に疎開。小学校1年入学間もなく兵庫県伊丹市に移り住んだ[1]。中学卒業後、元来進学を希望していたが、父が亡くなるなどで家族の生計が苦しく、やむを得ず夜間の伊丹市立伊丹高等学校の定時制に進学。日中は三菱電機伊丹製作所で養成工として働いたり、兵庫県立伊丹高等学校で給仕の仕事をしたりと家族を支え、
この頃弟とラジオ番組「漫才教室」にリスナーとして参加している、「伊丹の前田兄弟」は素人お笑いトーナメント荒らしとして知られ、賞金を得ては生計の足しにしていた(同番組の審査員の中には、後の師匠となる桂米朝も含まれていたんです、そんな多忙な中でも勉強は怠らず、高校へは首席合格。そのため入学式では入学生代表の挨拶を務めた。特に高校生の頃から英語の学力はかなりのものであり、専門書を読めるほどで、後の英語落語にも繋がります
1960年(昭和35年)に神戸大学文学部に入学するが、1年間通った後1961年(昭和36年)「大学がどんなとこか大体分かりました」とあっさりやめた。3代目桂米朝に入門し落語の道を志す。「10代目桂小米」と命名された。兄弟子に3代目桂米紫、月亭可朝がいるが、内弟子としては米朝の一番弟子であるんです。1962年(昭和37年)4月に千日劇場で初舞台。
小米時代は内容の設定を深く掘り下げ、大阪では珍しい繊細で鋭角的なインテリ的な落語だった、声が小さい場面もあり、米朝から「後ろの人は聞こえんぞ」とたしなめられることもあった、客層はいつも笑う人といつも笑わない人に分かれたらしいんです、人を笑いの天国に送るため鬱病にまでなり苦しんだ人生
落語は偶像の世界です、貫いた、一人の落語家に、乾杯です。
代書屋
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天神さん