忘れねぬ詩人のお話し。

店長の道楽日記より転載、

みなさん、こんばんは、快適な日々が続きますね、

でも、微妙です、おっ半袖いや長袖~~~

忘れえぬ得ぬ詩人です、
 1924-1977 52歳没 1952年 世界的大ヒットとなったジャズの名曲「テイク・ファイブ」の作曲者。
私がジャズが好きになったきっかけはこの曲でした。9歳の頃、(51年前)テレビでよく見ていた、
『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』(ひたちドキュメンタリー すばらしいせかいりょこう)とは、日本テレビで毎週日曜日に放送されていた紀行番組です。1966年10月9日に放送を開始し、1990年9月16日に放送を終了。(ウィキペディアより)(この木なんの木気になる木)の歌で始まる番組。その中で「テイク・ファイブ」がBGMとして流れていた。 子供の自分からすると「不思議な曲」でした。 その理由はその曲名のとおり「5拍子で行こう」です。つまり4分の4拍子でなく4分の5拍子なんです、 瞬く間に虜になった。父に聞いても曲名がわからず、テレビ局に手紙を書いて教えていただいた記憶があります。
その容姿と同じく、彼のアルト・サックスはまるで絹のような音色を持ち、いかなるあるとサックスプレイヤーも持ちあわせていないユーモアとクラシックのフレーズをそれと気づかせぬようにアドリブの中に紛れ込ませる「魔術師でもあった」。その魔術はじつに心地の良い魔術だった。 まるで我が子のようにアルトサックスを優しく抱きかかえる彼の姿は、何年たっても忘れない。 52歳での早すぎる死だった。

 考えてみれば、自分はなんとマセタ子供だったんだろうかと今になって思う。その頃日本はグループ・サウンズの走りで、うちの姉などはタイガースの何とかがいいとか言ってましたが・・・ その頃は女性アイドルなんていうのはいませんでしたから(いたか三人娘:中尾ミエ・園マリ・伊東ゆかりだったかな?)、、もっぱら興味は洋楽専門(9歳の頃ですよ)、でかい(幅5,60センチ、当然真空管)AMラジオで(FM放送などまだない)「L盤アワー」とか「S盤アワー」なんぞ聞いていました。

 今の時代だったらひょっとして「発達障害とか何とか障害児」にされていたかもしれません。なにしろ、家族は茶の間でテレビ(白黒)、私は一人でラジオのチューナーのお目目(昔はチューニングはそれを見ながらやったもんです)のグリーンの光だけの部屋で、体育座りして音楽聞いてたんですから・・・・変わってましたよね。

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